今日は朝一で、洗濯をしなきゃいけなかったので、いつもより少し早く起きて洗濯機のスイッチを押した。
朝ごはんにジャーマンポテトを作る。
フライパンで玉ねぎとベーコンを炒め、レンチンしたジャガイモを入れてさらに炒める。
しかし、ジャガイモがまだ硬くて慌ててフライパンに水をぶち込んで煮た。
あと、水菜とミニトマトの上に豆腐をのせたサラダとコンソメスープを作った。
フライパンの水が蒸発したら、しょうゆ、塩コショウ、バターを入れた。
にわとりさんには、食パン2枚。
バジルの入ったパンに塗るやつと、はちみつをそれぞれに塗って焼いた。
私は、フルーツグラノーラ。
洗濯が完了したけど、先にごはんを食べる事にした。
しょっぱい。
そして芋が固かった。
醤油を入れている時点でジャーマンポテトじゃない気がする。
ジャーマンポテト改め、芋料理と呼ぶことにする。
芋料理は、結構な量だった。
この前、にわとりさんが私の作った朝ごはんに追加でハムを食べていたので、足りないのかな?と思い、多めにしたのだ。
結果、にわとりさんは、食べるのが大変そうに見えた。
それは、量が多かったからなのかもしれないし、味がしょっぱかったからかもしれない。
あと、はちみつを追加でパンにかけていた。
塗り方が足りなかったのかもしれない。
にわとりさんが、洗濯物干してないよね?と言った。
私は、ご飯を先に食べてからにしようと思って、と返した。
食後、私はうんこをしにトイレに籠った。
出た後、にわとりさんが洗濯物を干していたのでありがとうと言った。
にわとりさんは、皿を洗ってよと言った。
私は悲しくなって、皿を洗いながらこっそりと泣いた。
多分、読んでいる人は何で私が悲しくなるか意味が分からないだろう。
私は「皿を洗ってよ」→「もたもたしてないで、ちゃんとして」という風に捉えていた。
にわとりさんの声のトーンが冷たく聞こえたから。
責められてるような気がして、悲しくなった。
事実だけを考えると、にわとりさんはただ「皿を洗ってよ」と言っただけ。
私が、悪い方へと解釈しているだけなので、それを改め、悲しい気持ちをこらえなければならないと思った。
だけど、目から涙がこぼれ落ちる。
そうすると、にわとりさんが、どうしたの?俺また何か言った?とイライラしだす。
私は、沈黙。
私がにわとりさんの一言を悪い方に考えすぎてしまっただけだから、と答えた。
そうするとにわとりさんは、こう返す。
「俺は、何もしゃべらない方が良い?反応しない方が良い?」と。
私は、にわとりさんに悲しくなってしまった理由を伝えたら、にわとりさんが窮屈になってしまうと思って伝えなかったんだけど、伝えても伝えなくても同じ言葉が返ってくるのだろうなと思った。
私が、考えすぎなのが原因だと、頭ではわかったつもりなんだけど、そこからどうしていけばいいのか分からなかった。
考えすぎてしまう、悲しくなってしまうのも私自身の性格なので、悲しく考えてしまったんだなぁと、受け入れていくしかないと思う。
悲しくなっちゃうもんは、悲しくなっちゃうのだ。
にわとりさんは、私が泣いてしまったら、自分は何も話さない方がいい?とよく言う。
私自身も、にわとりさんに話しかけると反応が無かったりするので、私の話には興味がないのかな?と思い、話したいことが話せなくなる。
そんなふうに抑え込んでいたら、話したい事がなくなってしまったりする。
あとは、にわとりさん自身何をしゃべっても受け入れてほしいんだと思う。
まぁ、誰だって受け入れて欲しいし、パートナーならなお一層だと思う。
裏を返せば、私もにわとりさんも自分自身を受け入れてないんだと思う。
自分を受け入れている人は、誰かに受け入れてもらうことに執着せず、相手を好きになる事ができるだろう。
月並みだけど、言葉で言うのは簡単だ。
それができたら、苦労はしない。
こんな日々だから、肉体的には何もしていないのに脳みそがヘトヘトなのだった。
涙も急に出る時もある。
(だから、ファービーも買うのであった)
にわとりさんは、共同で他の農家の人と一緒に収穫作業をしていて夜遅くまで働いている。
一方私は、脳みそはヘトヘトだが、実家でゆるゆるしている。
それなのに、疲れたと言ってりゃ、にわとりさんに何もしてないのに?と言われても当然の事。
しかし、脳みそのヘトヘトはいくら体を休めたって、回復しない。
それどころか、近頃は指の関節がこわばるようになってきた。
それこそ、何もしてないのに。
もうすぐ、子宮筋腫の手術が控えているからナーバスになっているんだろうと、周りからは言われるが、そこんところ、そんなに気にしていない。
むしろ、100%の酸素が出るマスク(手術中につけてるやつ)ってどんな感じだろうか?とか、病室のテレビにアニメチャンネルがあるっぽいのでラインナップが気になったりしてるぐらいです。
変な所で謎の図太さが発揮される私。
もっと、そんなふうでありたい。