昨日、にわとりさんと口喧嘩をした。
喧嘩の理由は、仮想通貨の事。
以前にわとりさんが選んだ銘柄が少し利益がでたタイミングで売った。
そのあとグンと値上がったので、にわとりさんが買い増ししたがったのを止める、というやり取りを通貨の価値が上がる度に繰り返していた。
そして、昨日その通貨が当初買った時の5倍になった瞬間があった。
にわとりさんは、自分が何度も言ったのに買ってくれなかった。酷い!と。
今からでもいいから買って!と言ったのだが、私は拒否。
ちなみに、仮想通貨の資金は私の貯金で賄っている。
そりゃぁ、5倍も跳ね上がったのは相当ショックだ。
今後も伸びるかもしれない。
だけど、高値更新した今にすぐ買うべきじゃない。
だいたい仮想通貨ってやつは、グンと伸びた後にグンと下がる時期があるからだ。
まぁ、とにかくだ。
売ると決めたときは私が勝手に売ったわけじゃなくて、二人で売ったのに、私が悪いみたいな言い方をされてすごくムカついた。
その時、私は皿を洗っていたのだけれど、物とか投げたくなるぐらいめちゃくちゃイライラしていた。
そういう時、最近はある言葉を心の中で唱える。
「ファービー」と。
特に意味はない。南無阿弥陀仏感覚で唱えるようにしている。
南無阿弥陀仏と唱えるだけで救われる、みたいなそういうやつ。
その情報自体間違ってるかもしれないけど、そこらへんはお好みで(?)どうぞ。
とにかく、脳をリセットしたいときはファービーと唱えてるんだけど、それでもイライラではちきれそうだったので、外に飛び出した。
夜の山道へ一人で向かった。
山道といっても皆様が想像するタイプの山道じゃない。
ちゃんと道路も歩道も街灯もあるタイプの山道だから安心してください。
とにかく、動いた。
この状況で、褒められることはないだろうか?と考えた。
これも最近試している事の一つ。
自己肯定感を高めるには自分をほめろほめろって言うもんだから、しゃーねぇなって感じでやってる。
ただ、効果を期待してやってるわけじゃない。
いや嘘だ。
期待してるんだけど、期待してないという感じ。
淡々と、褒めるアクションだけをやってる。
「今、生きてるね、すごい!」という褒めの部分を、例えば死んでるカメムシを発見し
たのと同じテンションで見つける感じだ。
例えが伝わらなさそうだけど、なんとか感じ取っていただきたい。
そういう感じで、現状を褒めてみた。
・物に当たらないようにした
・食後の運動をした
・にわとりさんから距離を置いて問題を見つめようとしている
そして、歩きながらいろいろ考えた。
・私はイライラしている
・にわとりさんに何て言い返そうか
・無視しようか
・実家にファービー置き忘れてしまった
・ファービーごめん
・何で私はイライラしているんだろう
など。
イライラしているという状況であり、それをなんとかしたい。
にわとりさんに何かを言い返したところでイライラは増えるんだろうなぁというのは想像が付く。
にわとりさんの言い方が気に食わないので、なんとか言いくるめて謝罪してほしいという気持ちも湧き上がる。
だけど、それじゃあダメなんだ。
にわとりさんの発言自体は、私にはどうにもできない。
にわとりさんの行動や思考を強制することは、お互いにストレスになる。
そもそも、イライラしているということは、自分が悪いと思っているから、それを指摘されて反応しているのでは?
でも、私は悪いことをしただろうか?
別に悪いことはしてないんじゃないか?
なんか、あれよ。
嫌な言葉は受け取らなければいいんじゃないかって。
私は関係ありませんって。
非があったとしてもだ。
脳みそで考えることは、自由だんだよ。
批判を受け取らないと脳内で考えることは罪じゃないんじゃない?
考えるだけだったら、何をしても許されるんじゃない?
自分の都合でいい言葉だけを受け取って、悪い言葉は拒否すればいーんでない?
そこは、自分自身でできる部分なんじゃない?
と思った。
だから、にわとりさんや他の誰かに嫌な言葉を言われたとき、「それは私は受け取らない」と心の中で唱えるようにしていこうと思った。
それだけで解決することはないだろうけど、少しは良くなるかもしれない。
何故なら、今回は泣いてない。
いつもだったら、感情的になって泣き喚いたけど、今回は静かに考え込んでいた。
帰宅後、にわとりさんに「ただいま~」と言って寝た。
文句や、拗ねを極力ぶつけないようにした。
頑張った。
多分頑張ったのだ。