鯖缶ランドリィ

劣等感にまみれたさばのが日々感じたことをぶち込むブログです。

私が行動ができないのは当たり前なんだなぁと。

前に、アウトプットが足りないとブログで言ったけど、結局のところインプットも足りてない気がしてきた。

 

 

だらだらとTwitterを見ている時間はなんだか無駄なきがしていたけど、ひょこっと気になるものを見つけたりするので、全くもって無駄ということはないんじゃないかな。

 

 

だるくて、何もできない日だって、体を休めることができるだろうし。

 

 

自分が、今日はダメだ~と思っても、意外と何かの役に立っていることもあるのかもしれない。

 

 

自分自身気が付いてなくても、隠し味的な感じで、じんわりと影響があるかもしれない。

 

 

インプット、アウトプットよりも、行動する事が足りてない。

 

 

何か思いついては、自分でストップをかけてしまう傾向にある。

 

 

例えば、朝早く起きて散歩したら気持ちいいんじゃないだろうか?と思ったとして。

 

 

目覚ましを早くセットしたいのだけれど、にわとりさんを起こしてしまうからなぁ…とか思っちゃう。

 

 

それに、どうせ朝は早く起きれなくて寝ちゃうよなぁ…とか、やらない理由がどんどん出てきてしまう。

 

 

1日一か所、掃除をしてみようかなと思って、イラストを描いた時に撮っ散らかったところを片付けようと思ったんだけど、にわとりさんが寝てしまったので、ガサゴソやるのはうるさいかな…と思って、できなかったり。

 

 

何かをやろうとしたときに、誰かを優先してしまう癖がある。

 

 

というわけで、明日、早朝に目覚ましをセットしてしまおうか悩んでいる。

 

 

このように悩みだすと、別に早起きして散歩したいわけではないのでは?とか思い始めてしまう。

 

 

やりたいと思ったことは、リスクがないものであれば瞬時に行動に移した方がよさげですね。

 

 

どうしよっかな~。

 

 

実は、今日は、朝、外に出てみる事には成功したんです。

 

 

すぐそばの公園で、ブランコ乗ってめっちゃ怖かった。

 

 

だから、早起きしなくてもできなくはないけど、もうちょっと朝の雰囲気を感じたいなぁと思うけど、うーん。うーん。と。

 

 

はたから見れば、いや、悩んでないで、目覚ましセットするだけすればいいやんけ!って感じですよね。

 

 

でも、にわとりさんが~…ってなる。

 

 

そして、めんどくさくなる。

 

 

そんな自分が嫌になる。

 

 

という、パターン。

 

 

もし、客観視して自分に声をかけるのならば、

 

 

目覚ましセットするだけしてみれば?ってな感じでしょうか。

 

 

うーん。

 

 

誰かに自分の行動にとやかく言われるくらいならば、行動しないという選択を選んできたから、行動があまりできないのは当たり前なんだな。

 

 

でも、行動できるようになりたい自分もいる訳で。

 

 

だったら、行動する練習として、目覚ましをセットするだけセットしてもいいんじゃないだろうか?

 

 

とりあえず、にわとりさんになんか言われようとも、実際に眠くて起きれんくても、目覚ましをセットできればおっけ~みたいな。

 

 

行動しようとしただけでも、〇ということでどうでしょうか。

 

 

なんで、そこまで誰かに何かを言われることが苦手なんだろう。

 

 

それを克服できたのならば、けっこう生きやすくなりそう。

 

 

このブログは、誰のために書くかというと、自分の為なんだと思う。

 

 

自分が生きやすくなるように、考えたり、感情を書きだしたりしていこう。